資金も労働力もないライト兄弟が飛行機を飛ばせた理由

技能を習得するには、まだ確実に準備できていない技術を大胆に試すのではなく、慣れ親しんだ技術を絶え間なく繰り返すことだ。
byウィルバー・ライト(ライト兄弟)

こんにちは。YMC株式会社の山本です。

1903年、アメリカのポトマック川に浮かべたボートでのこと。

エンジニアであり、発明家であったラングレーは自作の飛行機を発射させようとしていました。

ラングレーの作った飛行機は、4年間の期間をかけ、莫大な予算と労働力を使い、並外れのエンジンを搭載。

カタパルトから打ち出されたラングレーのエアロドローム

彼の飛行機は発射台(カタパルト)で発射するように開発されてました。

仮説によれば、飛行機ほどの機体でも発射台で十分飛ばせる計算だったのです。

1903年10月7日。

ラングレーはこのモデルを初めてテストしました。

実験結果は悲惨なものでした。

1回目。発射台から飛び出した瞬間に墜落。

2回目。発射の途中で大破。

税金を費やして開発していたものですから、市民と議員は怒り狂い、マスコミもラングレーを叩きました。

そして、ラングレーは構想を諦めることになるのです。

資金も労働力もないライト兄弟が飛行機を飛ばせた理由は、逆転の発想だった。

一方、ライト兄弟は国からの資金もなく、労働力もありません。でも彼らは情熱と負けん気がありました。

そして、ラングレーとは全く違った方法で飛行機を飛ばそうとしていました。

ライト兄弟は、ラングレーとは全く違ったアプローチをしました。

なんと、丘の上からエンジンなしで飛ばせるグライダーを作ったのです。

ライト兄弟はバランスと操縦に全ての労力を費やし、動力はあとからつけようと考えました。

3年間の単調なテストを繰り返し、ついにグライダーはうまく飛ぶようになりました。

そこで、2人は自転車工場のおじさんにエンジンを作ってもらいます。

出来る限り小さく設計して、12馬力あり、重さは約8キロの簡単なものでした。

そして、1903年12月17日、ノースカロライナ州キティホーク。ライト兄弟は人類初の飛行に成功するのです。

ノースカロライナ州キルデビルヒルズの砂丘における初飛行(1903年12月17日)

ライト兄弟は世界の歴史に名を残しましたが、ラングレーのことを知る人はホトンドいません。

両陣営の違いを分けたのは、アプローチの方法でした。

「ラングレーは4年間かけて重い機体を飛ばすための並外れたエンジンを作った」

一方、

「ライト兄弟は4年間かけて、ごく普通のエンジンでも浮き上がる機体を作った」

わけです。

1906年、ラングレーは無一文でこの世をさります。

僕らもラングレーのような間違いをついつい犯しがちです。

基本を忠実に、地味なトライ・アンド・エラーを繰り返すことが大切なのに、

一発逆転できるような、新しい技術に目移りしてしまう。

心当たりがあり過ぎますね(苦笑)

まっさきに、やらなければならないことは、本当にごくごく当たり前の、基本的なことなんです。

それが成果を出す秘訣ですね。

飛ばない構造の機体は、どんなに良いエンジンを積んでも飛ばないわけです。

飛ばない機体のままだと、あなたもラングレーのように、野垂れ死にしてしまいます。

賢明なライト兄弟のようになるには、あなたはいったい何をしなければならないでしょうか?

山本