「武蔵、卑怯なり・・・」
こんにちは。
YMC株式会社の山本です。
「武蔵、卑怯なり・・・」
これは、巌流島の戦いで宮本武蔵に負けた佐々木小次郎のセリフであります。
慶長17年(1612年)4月13日のこと。
約束のときから遅れること2時間。
ざぶーんと波がさざめくなか、武蔵は素足で船から降り立ちました。
巌流島には敵のサムライが大勢いたので、
「決闘で小次郎を倒したあと、どうやって逃げるか」
ということまで考えていた武蔵は、沖に逃げやすいように、引き潮になる時間帯を選んで島にわたったのです。
一方……
時間になっても現れない武蔵にいらだった小次郎は待ち疲れており、しびれを切らしていました。
“物干し竿”と呼ばれるほどの長い剣を使っていた小次郎。
武蔵には、小次郎の剣を超えるような長い剣を注文して作らせるほどの時間もお金もありませんでした。
ただ、武蔵は敵を研究していました。
「佐々木小次郎の刀の長さは、どのくらいやねん?」
と事前に間合いを測っていたので、あります。
武蔵は思いました。
「別に決闘で刀を使って戦わないといけないなんてルールとかねーし。そんなん知らんし」
なので、小次郎の刀よりも長い武器を用意してそれで戦うことにしました。
武蔵は、船宿にて木でできた船のオールを削り、長い木刀のように仕上げていたのです。
相手は佐々木小次郎という、名だたる剣豪。
それに対して、船のオールで作った木刀で戦うというのは、普通では考えられないことです。
小次郎は、自分より長い剣を持った相手と戦ったことがありませんでした。
武蔵はもちろんそれを狙っていました。
●不意打ち
浜辺で武蔵と対峙した小次郎は武蔵が長いオールの木刀を上段に構えたのを見て、ビビりました。
小次郎の戦い方は、
小次郎が振り下ろした一の太刀をかわせても、二の太刀はかわせないと言われる、つばめ返しという戦法でした。
「上から斬り下ろし、そして下から斜め上に斬り上げる」
という剣術なわけです。
武蔵の代名詞である“二刀流”でも、このつばめ返しを前にしたら分が悪かった。
そこで武蔵が考えたのが、
「相手の刀よりも長い武器を使う」
という兵法であったのです。
いつも使う二刀流を封印して、小次郎に合わせてカスタマイズした戦法を使ったんです。
刻々と変化する相手や状況に合わせて戦い方を変えねばならない
宮本武蔵は、
「生涯に六十数回の試合をして、一度も負けたことがない」
と言われています。
でも、巌流島の戦いでも分かる通り宮本武蔵は単に剣が強いだけの人ではなかったんです。
戦う相手を分析しその対処方法を徹底的に考えだし戦っていたのです。
1人で60人もの敵がいる吉岡道場と戦ったときもそうでした。
道場のボスを不意打ちの奇襲で倒したあとは、ひたすら逃げました。
さすがに、60人に囲まれたらいかに武蔵といえども負けるわけです。
なので、武蔵は常に、
「細いあぜ道を逃げながら、必ず一人を相手にする」
という戦法で戦いました。
細い道であれば、囲まれることはなく相手が必ず一人になるわけです。
「一人ずつ倒しながら逃げていく」
というやり方で、彼は逃げています。
武蔵はその一帯の地形を頭の中に入れて、戦い方を考えていたのでありました。
おそらく吉岡道場の門下生たちも、
「武蔵、卑怯なり・・・正々堂々と戦え!」
と言ったことでしょう。
ですが、生きるか死ぬかの戦いにおいて卑怯もクソもないのです。
正義が勝つのではなくて、勝ったほうが正義になるのです。
ぜひ、“勝ち”にこだわってください。
僕らがやっているビジネスってのはライバルと目に見えない殺し合いをしているのですから。
僕らも、
「今までこれでやってきたんだから、ずっと同じ戦い方をする」
てなかんじで、過去の成功体験にこだわり続けてはいけません。
武蔵のように、これまでとは違う考え方や発想を持つ必要があります。
あなたは、どう思いますか?
山本