なぜ日本のゼロ戦はアメリカのグラマンに勝​てなかったのか?

2017年9月6日

こんにちは。

YMC株式会社の山本です。

  • トレードオフ

という言葉があります。

これは、

「何かを手に入れたかったら、何かを手放さなければならない」

ということを意味します。

これは、治療院経営での失敗と成功を、大きく分けるような違いを産む考え方です。

先日、色々と動画を観てたら、

「日本人はつくづく戦争に向いていない民族である」

という趣旨で話してた人がいたので、ほうほうと聞いていました。

ここで、でてきた話が、

  • ゼロ戦とグラマンの比較

でした。

戦争ってビジネスに関係なさそうに思いますが、実は密接に関係があります。

多くのビジネス戦略の基礎となっているのは、戦争ですからね。

なぜ、ゼロ戦はグラマンに勝てなかったのか?その違いは「設計思想」にあった

ゼロ戦は、太平洋戦争で活躍した日本の軍用機です。

対するグラマンは、米国戦闘機の俗称ですね。

結果的に、日本は敗戦するんですが、その理由が、ゼロ戦とグラマンの設計思想に、面白いほどあらわれています。

どういうことか?

ゼロ戦は、当時の世界の戦闘機を比較したときに、

  • 圧倒的に高スペック

でした。

他を寄せ付けないほどの性能を誇っていました。

特に航続距離と、運動性能は、目を見張るものがあったそうです。

なので、一対一の空中戦はメチャクチャ強かった。

ところが、ゼロ戦は、

  • 機動力(攻撃力)を重視するあまり、防御力が超低い

という弱点があったんです。

日本は東南アジアまで攻める必要がありました。

つまり、飛行機の航続距離は長くなくてはいけなかったのです。

なので、燃費の良さとか機動力に重点をおいてゼロ戦が設計されたわけですね。

でもひとつの性能を追求すると、他を犠牲にしなくてはいけない・・・。

ゼロ戦の場合、パイロットを守る防御力を捨てたんです。

なぜなら、防弾のための頑丈な鉄板を使うと重量が重くなり、機動力が低下するからです。

さらに言うと、日本人の性分なんでしょうか、極限まで機動力を高めるために、物凄くこだわって作ったので、量産が難しい設計になっていたわけですよ。

これがトレードオフですね。

機動力を極限に追求したあまり、防御力がなくなり、しかも量産ができなくなってしまった。

つまり、ゼロ戦という「芸術品」を、日本は作ってしまったのです。

グラマンは機動力を捨て、防御力と量産体制を取った

一方、アメリカのグラマンはどうだったのか?

グラマンは、熟練工でなくても大量生産できるように設計されてました。

しかも、「防御力」もゼロ戦とは比べ物にならないほど高かった。

癖がなく未熟なパイロットにも扱いやすい操縦性にして、パイロットの生残率を高めるような思想で作られてたそうです。

イメージで言うと「ヘタでも乗りやすい量産型ザク」を大量に作ったわけですね。

熟練工じゃなくても作れて、凄腕パイロットじゃなくても乗れる飛行機にしたんです。

ゼロ戦は、

「弾を撃たれても、おれの芸術的な機動力で避ければいいんでしょ?」

という思想で作ったため、超軽量化したのに対して、グラマンは、

「弾が当たっても良いように防御力の高い作りにしよう。重くなるけど、機動力はエンジンを強化してカバーしよや」

という正反対の思想で作られたわけですね。

単純に比較はできないですが、結果は歴史が証明してしまいましたね。

何を取って、何を捨てるか

このことから僕らは何を学べるか?

もちろん、何かに「特化」していくことは戦略上で大事です。

ゼロ戦は「機動力に特化」したわけですね。

たしかに、一対一の空中戦だけなら勝てるかもしれない。

でも、「戦争に勝つ」という総合的なゴールからの逆算で行くと、最適ではありませんでした。

明らかに大局観が抜けていると、ビジネスでもライバルに負けてしまうかもしれませんね。

あなたは、何を取って、何を捨てますか?

山本