【動画】才能が発揮される分野で勝負しろ

2016年2月22日

こんにちは。
YMC株式会社の山本です。

今日のブログも動画で視聴ができます。

世の中は才能が全てである

僕は、基本的に弱い人間です。

これまで何をするにしても、逃げてばかりの人生でした。

母親が水泳選手だったことから、僕は幼い頃からスイミングスクールに通っていました。

スイミングスクールでも、選手コースになるとめちゃくちゃ厳しい練習をさせられます。

小学生でも怒鳴られながら、1日数千メートル泳がされるわけです。

遅いタイムでちんたら泳いでたら、コーチにビート板で頭を叩かれました。

当然、グーパンチが頭に飛ぶこともあります。

そんな感じで中学3年生まで続けた水泳でしたが、あまりにも苦しくて辞めました。

●逃げたんです。自分から。

キャプテンが逃げ出す、前代未聞の事態

高校では、ラグビー部に入りました。

しかし、

そのラグビー部も大変でした。

夏は暑く、冬は寒く。雨でも関係ない。

ラグビー部では、こんなデキゴトが日常茶飯事でした。

  1. 練習試合中に、脳震盪で泡を吹いて倒れる
  2. タックルを受けた際に、自分の肘が腎臓に突き刺さり血尿が出る。
  3. いきなり先輩から延髄ラリアットを食らう。不意打ちで


そんな厳しい生活でしたが、高校3年生の夏。

僕らの高校は、ライバル校に大敗しました。

この夏の時点で圧倒的に差があるわけで、冬の花園予選で勝てる確率はほぼ無い。

当時、僕はキャプテンでした。

そのキャプテンだった僕は、部活を辞めました。夏に。

普通は、冬の花園予選で勝てば花園に出て引退。

もしくは、花園予選で負ければそこで引退。

でも、僕は、夏に辞めました。

「このままラグビーを冬までやってもどうせ負けるし」

と思ってしまったんです。諦めたんです。

●また、逃げたんです。自分から。

これ、自分でも思いますが普通じゃないですね。

責任を負わされたのに、なりふり構わず逃げてますからね。

しかも、

キャプテンだった僕に釣られて、同級生が4人辞めました。

ギリギリだったラグビー部員の中の、主力4人が抜けるわけです。

実質、試合で戦えない状態になりました。

その2年後、ラグビー部は潰れました。

その後大学に進学し、大学では水泳をちんたらやりましたが、その大学4年生の秋にある決心をしました。

「ビリヤードのプロになろう」

今まで何もやり遂げられなかった自分を変えるために、ビリヤードを極めようと思いました。

逃げてばっかりの自分を変えたかった。

とにかく一つのことを、最大努力でやってみよう。

そう思ったんです。

日本ランキング1位と勝負して「これは無理だ」と思わされた

僕は、そこからビリヤードのプロを目指す修行を続けました。

全ての時間は、ビリヤードに費やしました。

職場もビリヤード場で、休みの日はビリヤードの試合に参加。

毎日、ビリヤード漬けです。

僕は、20代の全てをビリヤードに捧げました。

もうコレ以上は無理だと思うくらい、ビリヤード漬けの生活を送りました。

そして、挑んだプロテスト。

僕が当時、勝手にライバルだと思っていた栗林くんに、

「次はプロのステージで会いましょう」

と言われてプロテストを挑んだわけですよ。

僕はガチガチで、あり得ないほどの緊張で思ったようなプレーができず、プロテストを不合格。

10年間、毎日のようにやったビリヤードなはずなのに、プロテストの次の日に両手が筋肉痛ですよ。

どんだけ緊張してチカラ入ってんねん、みたいな。

自分のセンスのなさを痛感しましたよ。

そして、数年後。

その栗林プロと、当時、日本ランキング1位だった大井直幸プロの二人と戦う機会がありました。

2007年くらいだったかな?

ちなみに2016年現在、この二人は日本代表として世界を飛び回っています。

Japan vs Qatar | QuarterFinal | Full HD | 2015 World Cup of Pool

彼らはプロ、僕はアマチュア。

もうね。

勝負したら、大人と子供くらい違うんですよ。

全く歯がたたない。勝負にならない。

20代の全てを捧げたのに、ダメなものはダメなんだと。

ショックを受けました。

でも、それで踏ん切りがついたんですよ。

僕はそのときに、ビリヤードで食っていく道を諦めました。

努力だけでは、どうにもならない世界があるんだ。

それを学んだんです。

まあ、それから3年ほどあがきましたが・・・

ところが今まで人生をかけたコトを捨てて別の人生を歩むのは、本当に怖かったです。

今度は、強く握りしめたものを手放せなくなるのわけですね。

才能が発揮される分野で勝負しろ

かつて、島田紳助は言いました。

『僕がM-1を始めたのは才能のあるやつに世にでるキッカケを作るためじゃなくて、才能のないやつに辞められるキッカケを作るため』

漫才を10年やって予選を突破できない芸人は、さっさと辞めたほうが良い。

でも、やってみないと才能があるかないかはわからない。

だから、やってみないといけないんです。

本気でやってダメだったら、芸人生活から足を洗わなければならない。

でもね。

「最大限の努力はした。自分なりに全力でやった。全てを捧げた」

という経験はね。必ず生きるわけですよ。

「努力」のパラメーターが1から5まであったなら僕らは5の努力をしなければならない。

同じく、

「才能」のパラメーターが1から5まであったなら僕はビリヤードの「才能」は2くらいだった。

なので、5×2=10の成果しか出ないわけです。

栗林プロとか大井プロは5×5=25ですよ。

彼らは才能もあるし、努力もする。

これがプロの世界です。

ただ、才能は親から与えてもらうものですが、努力は自分でするものです。

誰でも頑張って5の努力をすれば、この世界でダメでも他の世界で絶対成功できます。

次に見つけた新しい世界に努力の5を掛ける。

それがダメだったら、また次に見つけた分野で5の努力をする。

そうやっていったらそのうち自分に合う世界が見つかって、成功するんです。

5の努力ができるやつは、時間はかかっても必ず成功すると思うんです。

僕も、昔やった5の努力の経験があるから今があるんです。

※別に成功したなんて思ってないけど

だからね。

このメルマガを読んでいるあなたには、才能なかったとしても5の努力をして欲しいんです。

そうやって最大限の努力をした経験をして欲しいんです。

寝食忘れて、5の努力でもがいて欲しい。

いますぐに成果が出なくても、この5の努力をした経験は必ず生きてきますからね。

山本